皆さま、こんにちは!当ブログ管理人の悠爺です。
今回は郡山史郎氏が書かれた本「定年格差」を読んで感じたこと、このブログを通じて考えてきたことと照らし合わせて気づいたことなどを述べてみます。
著者の郡山氏は日本を代表する名門企業ソニーで常務取締役まで昇りつめた、サラリーマンとしては私など全く足元にも及ばない超エリートです。
しかし60歳を超えていざ引退し、次の仕事を探そうとしたら全く見つからないことに愕然とし、それならということで自らシニア専門の再就職支援会社を立ち上げ、とうに80歳を超えても勤め人を続けているという、一言でいうなら「凄い人」です。
タイトルの「定年格差」には、著者自身の反省もこめて、定年後の人生に向けて準備をしているか、していないかで大きな差がつくぞ、という警告が込められているように思いました。
背景にある問題意識として、
- 人の寿命が伸びたこと(「人生100年時代」と言われるとおり)
- 70歳定年は、起業によるシニアの追い出しを加速するだけ
があるとしています。
2点目の70歳定年は、国が年金受給開始年齢を遅らせないと年金財政が破綻してしまうため、年金が受給できるまで企業に雇用を義務付けようとしている制度のことですが、そんなことをしたら逆効果にしかならない、と郡山氏は警鐘を鳴らしています。
そしてこのような日本の状況はそう簡単には変わらないという覚悟の上、働く側である私たちが変わらなければいけないというのがこの本の主張です。
そこで郡山氏は、
- 自然定年
- 形式定年
- 実質定年
という呼称で定年を3つに分類、再定義し、特に3点目の実質定年を自ら定義した上で、人生後半戦のプランを練ることの重要性を強調しています。
以下、少し解説します。
自然定年
自然定年は生物である以上不可避的に訪れる、ビジネスパーソンとしてのパフォーマンスが落ち始める年齢のことで、概ね45歳前後だとしています。
そういえば、サントリーの新浪社長が「45歳定年制」を発言して物議を醸したことを思い出しましたが、これを自然定年に言及したものと思えば、発言の意図は理解できる気がします。
記憶力や徹夜などの知力・体力での勝負は、おそらくほとんどの人が30代をピークにして衰え始めるでしょう。
そうした衰えを過去の経験や積み上げた知識で補ったとしても、残念ながらほとんどの人は45歳以降下降線をたどることになるのでそれを自然定年と名付けたわけです。
自然定年は生物学的摂理であり、抗うことができません。
会社においては、肩書に守られて自然定年以降も就業できているのですが、同じ仕事なら若い部下の方が早く正確にこなせることを自覚する年齢といってもよいかもしれません。
以前のブログにも書きましたが、私が最初の会社で出世コースを外れたことを自覚したのが45歳ごろだったので、「45歳自然定年説」は、個人的に肌感覚に合っています。
形式定年
形式定年とは、企業が定義する定年のことで、現状ほどんどのところで60歳、一部61~65歳で定められていると思います。
形式定年を迎えて、さてこれからどうするか、となってしまうのが準備不足でダメなパターンというわけですね。
実質定年
著作から抜粋すると実質定年とは、
自らの人生の残り半分をどう生き、どう働くかを決めて、過去のキャリアやプライドを捨て、マインドセットを改めて生まれ変わるあたしい定年の形
とされています。
具体的な年齢は著作には述べられていませんが、50歳前後から60歳までの間、すなわち50代に設定すべきというふうに読めました。
郡山氏によると人生の前半戦は、家族のために住宅ローンを抱え、子供の養育、教育費を捻出するために厳しい出世競争を生き抜く時代だとしています。
私自身の経験からも、サラリーマンとしてのキャリアは概ね50歳で結論が出てしまいます。
50歳で役員かその手前のポジションになれなかったら、55歳あたりで役職定年を迎えるのは確実になります。
マインドセットの切り替えとして最適なのは、このタイミングでしょう。
郡山氏の主張は、「実質定年を迎えたら、形式定年を待ったところで会社が早期退職を迫ったり、追い出しにかかるから、さっさと準備を進めて年齢によらず自分を必要としてくれる会社を見つけて再就職すべし」ということになります。
しかしながら現実問題として50代の転職は大変厳しいです。
そこで郡山氏は「仕事の選り好みをしない」「給料が下がってもかわない」という覚悟をもって転職に取り組むことを強く推奨しています。
そうした厳しい覚悟を必要と主張する一方で、郡山氏は、人生後半戦の働き方は「好きなこと」「楽しいこと」「幸せ」をエンジンにせよ、とも主張しています。
素朴な疑問ですが、「仕事の選り好みをしない」と「好きなこと」「楽しいこと」はマッチするでしょうか?
まあ、簡単ではないですね。
ここに実質定年による人生設計の難しさがあるように私には思えます。
逆に言えば、難しいからこそそのようなマッチングを考え、探索するといった準備が重要になるということなのでしょう。
もう一つ、見逃せない点が「給料が下がってもかまわない」と腹を括れるかどうかです。
多くの現役サラリーマンにとって、給料すなわち年収は、その人のプライドや自尊心に深く結びついています。
値札みたいなものですからね。
それを下げるというのはプライドが邪魔をするので、相当な葛藤を経験することになるでしょう。
さらに切実なケースとして、高額の住宅ローンを組んでいてまだ残債がたくさんある場合、年収が半分にもなろうものなら、一気に生活が破綻してしまいます。
実際、このパターンは最悪で、プライド云々の話ではなく、破綻回避のために自宅を売却して残債をなくす、残債がなくならなければその返済のために再就職するという羽目に陥ります。
そうなれば「好きなこと」「楽しいこと」「幸せ」のどれ一つも達成できなくなってしまうでしょう。
以上から実質定年を取り入れて人生設計をするためには、子供の教育費や住宅ローンなどの高額なフロー支出が残っていないことが大前提になります。
やはり人生100年時代を生きる上で、先立つものはFI = Financial Independenceです。
FIはFIREを目指す若者だけが目指すものではなく、サラリーマン全員が目指す必要がある、ということになります。
まとめ
実質定年を50歳ごろとして、そこでマインドセットを切り替え、再就職に向けた調査と準備を始め、同時にFI達成に向けて資産形成を進め、60歳ごろには「好きなこと」「楽しいこと」「幸せ」を軸とした働き方にシフトする、というのが今回ご紹介した本の主張のエッセンスになるように思いました。
こうして書いてみると、榊原氏が推すFIRA60と似ているようにも感じました。
尤も、榊原氏は、60歳前後でサラリーマンのような労働収入に頼る生き方は、だんだんイヤになってくるからばっさり辞めるべしとし、と説いているので、「働く幸せ」を人生設計の大前提とする郡山氏の主張とは相いれないところがあります。
一方郡山氏は、著作の中で資産形成については何も述べていません。
超有名大企業で役員までやられた方なので、そもそもお金に困ったことなどないでしょうし、株式投資で資産形成したご経験などないのかもしれません。
私を含め一般的なサラリーマンであれば、60歳までにFIに到達するには何らか投資によるリスク資産運用は必須になります。
月並みな結論ではありますが、人生後半を「好きなこと」「楽しいこと」「幸せ」で設計するにはFIは必須で、FIあってこその悠々自適ということになりますね。
ここまでお読みいただきありがとうございました。次回のブログでまたお会いいたしましょう!
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